いつかの遺失物係

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ロールプレイング小説体験 - 筒井康隆『旅のラゴス』(1986)

なぜ「ラゴスの旅」ではなく「旅のラゴス」なのか。読み始めてまずそこが気になった。

ラゴスとはこの小説の主人公の名前だ。ある世界で旅をする若者ラゴスが各地を訪れ、年を経ていく物語。最初の章を読むと、この世界がどうやら僕らのいる世界とは違うものであることがわかってくる。スカシウマやミドリウシといった動物が家畜として飼われ、人々にはある種の超常的な能力がある。この小説は異世界旅物語だ。その点ではナウシカゲド戦記はてしない物語指輪物語などとも似たジャンルかもしれない。特に、SF的な話の作られ方である点でナウシカによく似ている。

しかし、あえて言い切ってしまえば、この小説で面白いのはストーリーではない、と僕は思う。この小説はラゴスの一人称視点で進んでゆくが、この小説全体を通じてラゴスは不自然なくらいに冷めている。多少の感情の揺れはあるものの、どこかそれを傍観しているような冷静さがある。さらにラゴスは途中である過程を経てから、よりその傾向が強くなり、時代をも超える上空からの俯瞰視点になっていく。また、この小説は多くの旅物語とは違い、これといった大きな目標も、内面の成長や葛藤の克服といったものも、ほとんどないまま進んでゆく。

ではこの小説の推進力はどこにあるのか。それはこの世界自体の面白さだ。ラゴスが訪れる各地での人々の文化や暮らし、動植物の過ごすさま、そういった細部の描写が面白い。ラゴスが見た景色を通して、「ここに自分が暮らしたら」と想像し、この世界の人々や動植物の呼吸に耳をすませる、そういった面白さでもある。一種のロールプレイング的な楽しみ方だ。一つの章が終わるごとに変わっていく舞台を追いながら、次はどんな場所へ、という興味の持続がこの小説を支えている。そして、この世界の成り立ちについて思いを巡らせることのできるある展開も用意されている。

この小説のそういった楽しみ方を踏まえると、一人称視点ながらラゴスの内面の描写に多くを割かないという特徴も、その楽しみ方を支える構造の一つになっているのではないか。この世界の細部の描写、そしてそれを初めて見る者からの視点を強調することで、ラゴスの周囲に目を向けさせ、この世界でのロールプレイングをしやすくさせているのではないか。

とすると、タイトルの「旅のラゴス」というのも、読者がこの世界を見る媒介としてラゴスが置かれていることを示すものなのかもしれない。そんなことを考えたりした。