いつかの遺失物係

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北イタリアには雪が降るのだな。

 

太陽の光が「降り注ぐ」とはこのことかというような明るい光に包まれた北イタリアの夏が映される。まさに思い描いたイタリアの風景そのものだ。庭に植えられた背の低い木や、そこになっている果実。真っ白な家々と強い日差しに囲まれればそりゃ原色の服も着たくなるはずだ。太陽の光と同じく、夏の喜びもすべての人の上に降り注いでいるように見えた。

その美しさばかりが強調されるように見える画面にちょっと退屈したりもしたが、エリオというあまりにも美しい顔をした主人公は、幼くて無軌道で無防備、それでいて繊細で、目が離せない魅力をたたえていた。そんな美少年があふれる性欲を持て余したり、それゆえの思いつき自慰をするシーンなどは他の映画では見たことのない描写で、ひたすら美しい画面に違うベクトルの深みやユーモアを与えている。
ユーモアといえば、イタリア人夫婦が他人の入る隙のないおしゃべりを延々と続ける、笑えるシーンなんかも、物語のアクセントとして単調になるのを防いでいたのみならず、外の喧騒をよそに静かな屋内でいちゃつくという最高のシチュエーションへの準備段階としても作用していた。気づかないくらい自然に、笑いの起こる状況が次の展開のフリになっている。

 

演出のすばらしさでは、周りの風景の映り方がただごとではなかった。少年のまわりの風や、鳥や、木の葉や、そして虫が、彼の心と共振して騒ぐ。
まるでジブリの感情の演出のように、彼の心から吹いてくるような風が画面の隅々までいきわたる素晴らしいシーンで、この映画に心を預けようと確信した。美しい風景と主人公とが映画のなかでそのように一体になっているのは、風景や匂いが人の思い出を喚起することと関係があるはずだ。
そしてエンディングで彼のもとに季節外れの虫が現れるシーン。映画を観ている誰にも伝わるにもかかわらず陳腐ではないこの演出が成功しているのは、すごいことだと思う。

 

バランス感覚に優れた映画なのだろう。
バレーボールをしていた時のオリヴァーのボディタッチの不自然さは、女の子への誘導だったのだと着地させ、あからさますぎる果実の比喩は笑いへ、そして恋人同士の非言語なやりとりへと昇華され、父親の長ゼリフが長すぎると思い始める頃、彼の一言でこの物語の普遍性が一気に高まる。違和感を感じそうになるシーンが必ず、バランスを失いそうになる寸前で回収されていく手腕は見事としか言いようがない。
特に、父親の長ゼリフの後半では、堰を切ったように涙が出てきてしまった。二人きりの恋愛映画だと思っていたが、それを超えた広がりを持っていて、多くの人の悲しみをはらみながら喜びを祝福する映画であるということがわかったから。

この映画は悲しいけれど、人生を肯定して祝福している。その美しさが泣けてくる。
人生のなかでひとつでも光を放っていた幸せな瞬間があったとき、たとえそれが終わって過去になろうとも、その喜びがあったことは人生にとって大きな出来事であり続けるということ。あの二人が今後、離れていようともそれを抱えて生きていくということ。それをオリヴァーの一言と、エリオの顔、そして虫で演出してしまうのだからたまらない。

 

この映画でなにより大きいと自分が思ったのはSufjan Stevensの楽曲だ。特に「Mystery of Love」は、映画が日本で公開される前から聴いていて、その美しさに感動していたのだが、映画を観て、この曲のためにある映画なのではないかとすら思った。
非常に繊細でありながら意思を感じる歌とメロディはエリオそのものだし、劇中では二人の喜びと悲しみをどちらも見守るように響いていて…!

この映画以上に、この曲の方が好きかもしれない。

 

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